「公演のご挨拶に代えて。エールを贈る。」



この企画の構想は、何年も前からありました。
俳優たちがトレーニングを積んで、今までよりも上質な表現を手に入れる。
当初はこの程度のぼんやりとした目的意識しかありませんでした。
契機は2月。
私が所属している劇団SUNSの公演をおえて、演出家池内亮太と話をしている時でした。

最近は俳優たちが舞台公演に向けてかけているエネルギーが少なくなっているのではないか。

俳優の仕事をできていない俳優が多くなっているのではないか。
私も池内も20代後半に過ぎず、長期間舞台表現に関わっているベテラン勢に比べればまだまだひよっこであることは疑いありません。
そんな私たちであっても、今の舞台表現を取り巻く環境、俳優たちの熱量、
お客さん方の公演に期待する気持ちなどが悪いほうに向かっているまたは悪くなったまま浮上できていないのではないかと感じていました。
俳優の仕事とは何か。

私なりに考えてみると、自分も作り手の一部であるという自覚だと言い換えることができるのではないかと思います。

なぜ小劇場における俳優たち(俳優をカタル者達の多くが、私は俳優であると名乗ることもできない程度の人間であると感じています)が、
演出家のいいなりになるためのただの素材に過ぎないと自分のことを捉えているのでしょうか。
演出家の言うことは絶対。
だから彼らは自ら考えることをやめ、新しいことを言われるまで以前に言われたことを繰り返す事しかしないのではないか。
その彼らは、彼らでなくてはいけない理由を勝ち取る事ができません。
演出家または主催者、プロデューサーは、気に入らなければ俳優を交換すればいいのです。
彼らである理由がないのですから。
使い捨ての道具にすぎないのですから、ノルマを課し、売り上げを作るために呼ばれるただの……。
ではこの現状を打破するにはどうしたらいいのか。
以前に考えていた企画を現実にしてみたいと強く思うようになりました。

稽古期間は本当に数ヶ月も必要なのか?

俳優達は演出家のいいなりになれる状態であることがなすべきことなのか?
必要な稽古は日常に潜んでいて、毎日の過ごし方こそ成長するために必要なことであり、
積極的に本を読むこと、新しい知識を得ようと努力すること、自分の体の可動域が僅かでも広がるように体と対話すること、人に見られている意識を持ち続けること、
これらのことは稽古場で過ごす時間だけで成長させようとしてもそれこそ本当に付け焼き刃にしかならない。
稽古場で必要なことは、作品を作る上で自分の発想と相手の発想を混ぜ合わせることなのではないか。
とすれば、稽古期間が長いか短いかなどということは本質的には関係のないことなのではないか。
大事なことは、自分の意見や発想を練り上げ、相手に伝えられる状態になっていることなのではないか。
彼らが彼らでなくてはならない理由が生まれ得るとしたらそこではないだろうか。
仮定を積み重ねて思案するうちに
私は数ヶ月間かけて稽古するという発想を棄て、必要最小限の期間で作品作りをするイメージを持つようになりました。

そんな最中、有賀太朗氏に出会います。
別ページの対談でも話題に上がっていますが彼の出演、演出する舞台公演に関わり、会話する機会に恵まれます。
そして彼の舞台に立つ姿を見て、彼が日常から俳優であるためのトレーニングや新しい知識への探求を止めない意識の高い俳優であると感じたのです。

モノを作る責任を彼は知っている。

そうして想いを共有できる演出家を得て、この企画はスタートしました。
これまでの出演者達に声をかける際、
私なりの言葉で彼らに今までよりもずっと大変でずっと貴重な舞台公演になるだろうと伝えました。
これから舞台で生きていきたいと考えているであろう彼らは私の気持ちに呼応し、集まってくれました。
実際には、始まる前の時点でこうして今頃、彼らの胸に湧いている想いのうち、どの部分まで想像できていたのか。
私は殆ど想像し得なかったのではないかと考えています。

ですが確信しています。彼らは確かに今までにない経験を積んで今日という日を過ごしていてくれていると。

私の語った問題や今後の課題について、十分すぎるほどに身を以て感じてくれたと。
稽古日数8日間、コマ数10、期間にして一ヶ月。
無自覚に過ごしてしまえば何一つ得ることができない程短い期間です。
生活もしなければいけない、学校がある者もいる。彼らの頭の中はパンクしそうになるぐらい慌ただしかったと思います。
それでもまだ見ぬ自分の姿を信じ励んでくれたことは、ついてきてくれたことに対する感謝と各々自身に対し諦めることなく進み続けたことへの敬意でいっぱいです。
今回の企画に参加してくれた彼らは、まだまだ俳優の卵である駆け出しの者たちです。
ですが彼らの今回の公演にかけた熱量を次の作品でもまた発揮してくれることによって、それが他の団体さん、俳優たちに伝播し、
その作品もまたエネルギーに満ち満ちたものになっていくのではないか。
結果生み出される作品たちが観客に届き、舞台表現そのものの価値が高まっていく。
彼らには今後の舞台表現を背負って立つ人物になってほしい。
あって欲しいと願うばかりです。

さて、風鈴堂の銀河旋律に興味を持ち、ここまでご一緒してくださった公演ご覧の皆様に向けてですが、
皆様の目にはどのように今回の作品が映ったでしょうか。
舞台表現をしている方たちには
自分が物を作る人間として、今回の彼らから何かエネルギーを受け取ってもらえていたら幸いです。
日常を大切に過ごしている方たちには
私たちのような河原乞食から見た社会に対して、無形の伝えたいことがあることを受け取ってもらえたら幸いです。
いずれの場合も、活力にあふれたあきらめぬ明日を過ごすエネルギーをお届けできていれば、幸せです。
今を見つめ、とらえること。より豊かな生をさがすこと」
出る側も見る側も、同じ空間にいて同じ時間を共有して。
今を生きる人たちの集合が今を作っているのだと私は思います。
どうかこれからも彼らを、そして彼らをサポートする私たちを
応援していただければ幸いです。
最後までご覧頂き、本当にありがとうございました。


2015年5月4日 風鈴堂 加古貴之
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